追悼 小山田いく先生 への旅(前編)

ナンさん

2017年04月25日 23:24

先々週木~先週月まで、実は長野に行ってました。

ところで、「小山田いく」さんという漫画家をご存じですか?
人生のほとんどを、生まれ故郷の長野・小諸市で過ごして
「すくらっぷ・ブック」「ぶるうピーター」「ウッド・ノート」
「マリオネット師」「迷い家ステーション」「風の宿」
「むじな注意報!」…と、週刊少年チャンピオンを中心に
活躍され、またホラーや大人向け作品など幅広く
作品を世に出していた…のですが。


残念なことに、昨年3月23日にご自宅で他界。
あと3ヶ月後に還暦を迎えるというお年でした。

何も隠しません。
私ナンバラ、人生の85%は小山田先生の作品で出来ている
といっても良いくらい、こってり影響され、
「沖縄から遠いけど、いつか頑張って小諸に行きたい!」
思ってたんですよ!

しかし東京まではすぐ行けても、小諸はさらに(最短時間で)新幹線
90分+JR小海線約20分。金銭的にも遠い地だったのです。
…と、まごまごためらってるうちに、まさか先生が亡くなるとは、
もう「ショッキング」の一語。
しかもこの時期、まさに私の身辺が訃報ラッシュでしたので…。


失意でがっくり来ていた私に、なんと1ヶ月後ぐらいに
「小山田先生の追悼資料展を開催します!」とTwitterでお知らせが!
「先生はいないけどこれはぜひ行かねば!!」と
炎の如く旅費をかき集め、行ってきたのが…昨年の6月のことでした。

その時の観覧者は北海道から南は石垣島まで、
全国から先生の突然の逝去を惜しんで、本当にたくさんの人が
新幹線の通らない小諸の地を訪れ、展示会も気づけば
夏休み終了間際まで延長するほど。



そして、展示会終了後も興奮覚めやらず。
ファンクラブの方で「来年(今年)一周忌の機会に偲ぶ会を!」
の声も挙がり、私も意を決して
古くからのファンの皆さんと出会って参りました。

4/14(金)16時前の新幹線あさまに乗り、長野へ
佐久平駅に降りると、晴天のもと浅間三山のお出迎え。
少し待った後、小海線のハイブリッド機関車に乗り
小諸に着いたのは18時頃。
この時期、昼は暖かくなってるものの、日が傾くとどんどん
冷える。さすが標高約660m。

早々にホテルに荷物を置き、適当に見つけたお店で夕飯。
サクサクアチコーコーの内地の天ぷら!
わさび塩がよく合う!ところで春の味・ふきのとうはシーズン終了で
残念、こごみという木の芽やホタルイカのしそ巻き等の天ぷらを。



偲ぶ会は翌4/15(土)。
ぼちぼち集合場所に集まったファンの皆さんとの挨拶もそこそこに
「芦中付近の梅の花が満開なんですよ」とお誘いを請け
タクシー乗り合い、先生の母校にして作品内「芦の原中」のモデル
芦原中学校へ。淡い色の桜、ソメイヨシノと紅梅白梅が揃う
春の景色がありました。


宴は小諸城址のすぐそば、小諸グランドキャッスルホテルの一室で
総勢21名。地元長野を中心に、首都圏、近畿、山陽、そして沖縄の私。
「いちばん珍しい人に乾杯の音頭を」とお願いされ、
せん越ながら一声発しました。あーはずかし((^o^;))

会場にはファンの方が保管していた、先生の原画や掲載作原稿のコピー、
そして…ファンの皆さんの愛情あふれる同人誌(!)も。
またスクリーンに先生を交えた「集い」の時の映像も流しながら
ありし日の先生や作品の話に花を咲かせました。

同人誌など「うわー見ないで!」と言われつつしっかり
見させていただいたり、圧巻は当時の雑誌をずっと保管してるんですよ。
なので、単行本ではモノクロでしか見れなかった、カラーページを
初めて読めたという…超貴重!そして皆さん物持ちの良い事よ…。
(こちらは二次会の会場、民宿「懐古苑」さんで閲覧)



その中で、先生の追悼誌の執筆打ち合わせも行いまして。
うち一人はガチで原稿に向かい、オマージュマンガを描くとのこと。
出来上がりが楽しみ。
私は同人誌経験ゼロ(汗)なので、2Pぐらいのメッセージで
お願いされました。6月ぐらいに印刷に乗るように描きます。

(すみません。後編に続きます)

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